1980年代ころのライブハウスは緊張感のある場所だったような気がします。中学のころ、高知から転校してきたSくんというクラスメイトとライブハウスに行ったら、彼はシド・ヴィシャスのように南京錠や革ジャンでキメ、最前列に座り、出てくるバンドをにらみつけ、つばを吐いたりするのでビビったものです。そうそう、そのころ地方の出身者の方が、早熟で過激なロック少年が多く、ハングリーな人も結構おりました。安アパートで暮らし、夜間の警備やなにかのバイトで食いつなぎ「オレ、本気でプロ目指してるんで」みたいなタイプです。思いつめたような目をしたストイックな人が多く、対バンとなれ合いもしないので、とても声をかけづらかったもの。でも、たしかに、実際にステージに上がると、彼らはものすごいオーラを放っておりました。そして、憧れのような、嫉妬のような、複雑な気持ちで、私はその演奏を見上げたものです。
彼らはいったい今ごろどうしているのだろうか?
そのころ、そうやって尖っていただろう人たちも、もう今ではアラフィフ。そして、このごろのライブハウスは、どこも和やかで、あたたかく、丸みを帯びた雰囲気があります。そう、本来、ライブハウスはみんなで楽しむ場所。そもそも音楽というものが、その音色の美しさや心地よさ、そしてそのメッセージを、分け隔てなく共有するべきものなのですよね。ギラギラとした目で、自分だけ出し抜いて目立ってやろうだとか、あわよくば有名になってやろうだというのは、もう時代遅れなのかもしれません。
そういう私自身も、ときどき仕事の合間に抜け出しては、歩いて一分ほどの場所にあるライブハウス「Live Music Cafe Strawberry Fields Kurobe」へとでかけ、うろ覚えの懐メロや、大昔に作った、青臭く拙い曲などを演奏したりしているのです。
2023.09.20
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私はどうも心配性というのか、自分を落ち込ませていることが、まったくの取り越し苦労であったりするということは昔からよくあります。
自身の中でどんどん妄想がふくらんでコントロールがきかなくなるのですよね。若いころは、ただ立ちすくみ、不安に怯えてしまうことがよくあったものです。そしてそんな不穏な意識が邪魔をして、出来るはずのことまで出来なくなってしまうことさえありました。実は、つい先日もそんなことがあり、それが、単なる私の思い込み、勘違いだとわかると、数日間そのことで悶々していた自分が馬鹿馬鹿しく、己の未熟さを感じました。そうやってありもしないことのために、おだやかだったはずの時間を台無しにしてしまった自分に腹が立ったのです。
見上げると透き通った青空。
我が心もこのようでありたいもの。いつになったら、大人になれるのか。
2023.09.18
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インド料理店に行くと、ひとり隅の席、手づかみでタンドリーチキン貪り、カシミールカレーの辛さにヒーヒー言いながら汗をかく、むさくるしいおじさんなどをよく見かけますよね。実はそれは私です。やたらと食べ疲れるし、このあとトイレに何度も駆け込むことになるのですが、「今さえよければいいんだ」みたいなうしろめたさも手伝って、どうもやめられない。もちろんカミさんには内緒です。
まかないに、あれこれ工夫してラーメンを作って食べるのも実は好きです。このあいだはブラックラーメン的なものを自作してみました。そう、富山県が発祥とされるこのラーメン。戦後、復興で働く腹ペコの労働者のため、ごはんのおかずになるよう、異常なまでに塩分濃度が高められたと聞きます。血圧の薬にお世話になりながら、このようなラーメンを食べる愚かさ。そして、その汁まで飲み干してしまったことだけは、絶対に内緒にしておいてください。
休みの日、買い物がてら、買い食いをして歩く帰り道も好きなのですよね。
「ただいま~」
「口にケチャップついとるよ」
「えっ? な、なんだろう。わ、わかった、結核だ! 」
「・・・」
「ゴホッ! ゴホッ! 無念! 近藤さん、土方さんあとはたのむ! 」
「・・・」
我ながら、どうもへんなふうに食い意地が張っております。きっと、「こっそり」というスパイスが、なにより私を虜にしているのでしょう。
2023.09.15
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今年の夏はずいぶん長いあいだ日照りが続きましたね。ひさしぶりに降った雨が、懐かしく思えたほどです。そして、その日はまるで夏が壊れて、空からこぼれだしたような激しい雨でした。ホーチミン市のガソリンスタンドだったり、信州の小さな駅だったり、田んぼの真ん中の納屋だったり、体育館への渡り廊下だったり、雨宿りした記憶が次から次へと浮かんでは消えていきます。そうやって、ぼんやりと、夕立をながめていると、あっという間に日が暮れていきました。
大雨が大気をきれいにして、夜の景色をキラキラとさせます。そして、こだわりだとか、執着だとか、不穏な気持ちだとか、疲れた気分だとか、そんなものまで洗い流してしまったかのように、心も少し軽くなるから不思議なもの。
季節が変わっていくほんのひととき。こんな感じが私は好きです。
2023.09.13
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稲穂が頭を垂れる季節になりましたね。今年は夏が厳しかった分、秋が懐かしい。でも、残暑も相変わらず続いておりますね。
家から店までの通り道に、歩いていると、いつも無花果の甘い香りがする庭先があって、前から気になっていたのですが、ある朝、そこを通り過ぎようとすると、
「あんた、ちょっと待たれ」
と、その庭の主のおばあ様に声をかけられ、とれたての無花果を渡されました。
それを、冷蔵庫でしばらく冷やして、そのままその日、私の朝ごはんにしました。秋らしい味ですね。夏の疲れに効いたのか、なんだか元気がでました。
秋らしいと言えば、先日、店で作業をしていると、ドアをコツコツとノックする音。誰だろうと見に行ってみると、オニヤンマがドアの前でホバリングをしていて、その固い頭を時々ガラスにあてておりました。間近で見ると、なかなか迫力ありますね。古代生物の雰囲気があります。
「そこに居るのはわかっとんじゃ! 開けろコラ! 」
と言わんばかり。
「ひいっ! すんません! 来週にはきっと・・・」
と、ついついお金を返したくなるようないきおいでした。
秋の夜には、澄んだ空に虫の声も聞こえるようになってきました。そして月を見上げると、なんだかせつない気分にもなる季節です。こんな夜は、なぜだか、長い間会っていない友達をふと思い出したりするものです。
2023.09.11
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今年はお盆が過ぎてもなお、猛暑が続いておりましたね。終わらない夏。それでも、明け方に歩いていると、ふと秋の気配を感じる瞬間もありました。
「夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。」
太宰が「ア、秋」という随筆で、そう書いていたのを思い出しました。そして、ページをめくってみると、
「秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。」
とも記してありました。こういう感覚をさらりと表現できる才能というのか、やはり、太宰はすごいなあと思います。
そのころ、夏の疲れが出たのか、私もカミさんも体調を少し崩し、二日ほど店をお休みにしました。夏風邪は長引くので早めに直すのが正解ですね。
若いころ夏風邪を拗らせて、咳がとまらず、咳止めをやたら服用していたら、意識がもうろうとしたことがあります。たまたま移動の都合で新潟の街にいたのですが、道端の占い師にからんだり、宿までの記憶が飛んだりと、そのときは質の悪い泥酔者のようになってしまいました。その後、乱用する若者が話題になって知ったのですが、咳止めシロップには覚醒作用があるようですね。たしかにあれは危険な薬です。
おかげさまで、数日のんびり過ごしたら、ずいぶん楽になりました。そして、夏もすっかり終わりの気配。人の動きもおさまったのか、店も少し静かになってきました。
そんな夜、どうせ暇ならばと、こっそりソルティ・ドッグを一杯。ウオッカがないので焼酎ベースでちょっぴり強めに作りました。あまりカクテルを知らないのですが、昔から好きな飲み方です。なんでもソルティ・ドッグとはスラングで「甲板員」を意味するとのこと。詩的ですね。グラスを傾けながら、知らない国。寂れた港町。時化の季節。錆びついた貨物船。そんな風景を思い浮かべてみます。
帰り道。ちょっぴり飲み過ぎたのか、見上げるとお月様がグレープフルーツのよう。そして、千鳥足の私を、まるで、せせら笑っているように見えました。
2023.09.08
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ようやく軌道に乗ったかなと思えば、ちょっぴり失速したりと、飲食業は日々が勝負の仕事です。コロナなどの不規則な変動要因もあり、柔軟にと、あまり数字に凝り固まずここまでやってきました。しかし、そろそろ、事細かな実績報告書とまではいかなくても、せめて損益計算書をもとに、数字の苦手なカミさんと共有できるくらいの資料を作って、羅針盤にしていこうかと考えております。
そう、やはり事業ですので、向かうべき方向や、行先は大事ですね。そして、お金に関してもそれなりの数値目標が必要になって、損益のバランスを把握しておかなければなりません。
しかし、ふと、思いかえせば、若いころは、バイクが欲しいとか、免許をとりたいとか、カッコいい靴を買いたいとか、わかりやすい目的があったもの。家族をもつと、生活のために働くようになり、仕事も沈没しそうな船のかじ取りのような状況が長く、これといった成長の要素もなかったので、自然と、私欲のようなものは、ほとんどなくなってしまいました。自身、経営をするには、お金に対する貪欲さというものがかけているだろうなという自覚はあります。
そして、案の定、個人事業主になった今、たいした儲けもないけれど、無暗に朝から晩まで働いております。でも、今までで最も仕事を楽しく感じ、いただいたお金を心からありがたく思う毎日は、とても幸福です。
きっと、自由だからでしょうね。そして、仕事そのものが自分自身といった生活なので「生きている」という充実感もあります。リスクや責任を納得して、自身を活かすべき仕事をしていればなんの心残りもないもの。でも、フリーランスは、自由を勘違いし、私心におぼれ、ただ我儘でやんちゃな仕事をするだけにもなりがちですね。そうして空回りして、世が世なら、などと愚痴めいたことを言うようになってはおしまいです。まあ、立場に限らず、一日不作、一日不食。自分を律して生きるということは、なかなかの大仕事だと思います。
2023.09.06
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