馬鹿騒ぎする大人たちを横目に、仮想空間で遊ぶ子供たち。
ふと思い出したのは、私が小学校5年生のとき、林間学校で箱根の宿舎の大広間にたどり着いて、
「さあ、みんな! 外で遊んできてもいいぞ~! 」
と先生が言うも、クラスの誰もがリュックの中から、任天堂「ゲーム&ウオッチ」やカシオ「ゲーム電卓」バンダイ「LSIベースボール」を取り出し、黙々とゲームをはじめた光景です。そういう私も、兄のお下がり、トミー「ミサイル遊撃作戦」を持ってきていました。そう、私の推測では公園で遊ぶ子供が急激に減ったのはこの1980年からで、その後、出てきた任天堂のファミコンは決定的だったと思います。
うかれて、越路吹雪の歌を歌う私。
しかし、私が歌い始めると、急に携帯をいじったり、トイレに行ったり、タバコを吸いに行ったり、しんみりと打ち明け話が始まったり、そわそわと「あした仕事が早いんで」と帰ったりする人が続出するのはいったいなぜだろうか?
ほんとうに不思議な現象です。
カマは塩焼きにしました。さすがに魚体が大きいだけあって、たいへん脂がのっていました。アラもブリ大根にして、みなさんのお土産にしようかと考えていたのですが、私はすっかり酩酊し撃沈。でも余すところなく、原料のままみなさまにもって帰ってもらいました。あとで計算してみると、当日にみなさんが食べきった平均は200gないし240g程。よく食べたものです。
そういうわけで、たのしい一夜でした。参加いただいたみなさん、どうもありがとう。
そして、日本海、能登沖の大海原を自由に泳ぎまわっていただろう、寒ブリくん。私もきみのように堂々と、胸を張って生きていこうと思っております。
たいせつないのちをいただき、ありがとうございました。こころより感謝申し上げます。
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2021.02.24
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なんでも、黒部市きってのロックン女子、姫とN子が某所にてさしで飲みに行った模様。そのときに、
「富山にずっと住んでるのに、まだ寒ブリ食べたことないよね~」
「店チョーにたのんだら、仕入れてくれるんじゃね」
「そうね~、どうせ店ひまそうだしぃ~」
「そやな。げらげら」
そんな話になったらしく、「わっしょい!ブリ祭りだよ、全員集合!」という企画を姫が立ち上げ20名を超える参加者のブリしゃぶ大会が当店で開催されることになりました。
私の歩留まり計算ですと、8kgでも全員がたらふく食べられる十分な量だったので、そう魚の駅生地さんに手配したのですが、
「いいやつありました! もう、めちゃくちゃ脂がのってます! 」
と、実際に渡されたのは石川産12kgオーバーの寒ブリ。
当初、子供たちも来るので、ハラをひらくところから見せて、
「わ~ん、きもちわるいよう~」
「いいかい、いのちをいただくってことはね、こんな残酷なものなんだよ。だからね、たいせつに・・・」
みたいな説教をしようとたくらんだのですが、その大きさに恐れをなして、ワタとエラだけは処理してもらいました。
さらに、T氏がエプロン持参で一時間もはやくやってきて、
「段取りがあかん。みんな来てからさばいていたんじゃ、らちがあかんやろ」
と急かすので、あらかじめ片身だけをさばくことに。
「店チョー、きゃ骨だらけやないけ! 包丁も切れんし、ちゃんと研いどるんけよ! 」
そう文句を言いながらも、柵にした寒ブリをせっせとしゃぶしゃぶ用の切り身に切るT氏。
(おい~、そのまめさをなぜ恋愛に活かせないのか~? )
こころの中で私はそう思っておりましたが、本人には内緒にしておいてください。
そうして出てきた一皿。T氏によると、
「黒部ちゃ、ブリは厚切りやないとだめやちゃ」
とのこと。
やがて、みなさんがやってきて、宴がはじまりました。
実は私は「ぶりしゃぶ」というものを食べたことがなく、なんで生でおいしいのに、わざわざビタミンを破壊して食べるのだろうと思っておりましたが、たしかに寒い日に、ブリを温かくたべるのはうまかった。さっと鍋にくぐらすと、表面がコーティングされ、中がトロリ、その食感は不二家ルックチョコレート状態。そして、日本酒が飲みたくなるような味わいです。ああ、八代亜紀のBGMを用意しておけばよかった。
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2021.02.22
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私の誕生日の翌日は店休日で、残務も午前中におわったので、自分にごほうびと、午後からはひとり気ままに過ごすことにしました。とくに行くあてがないときはとりあえず海へ行く私。でも、この日は、はっきりしない天気。よく港にある、船をくくりつけるぽっこりとしたやつ、これを見ていると片足を乗せて、肩に上着ひっかけて、ポーズをきめたくなりますよね。でも、ひとりきりでそんなことをやる勇気はなかったので、ただぼんやり、しばらく海辺を歩いて過ごしました。
気になっておりました、魚津漁協直営の食堂「魚津丸」で日替わり定食。ひさしぶりに食べる焼き鮭はなんだか染みるようにうまかった。鮭が食卓にならぶと、北斎の肉筆画「椿と鮭の切り身」を思い出します。モチーフの組み合わせが、ちょっと奇妙にも思えますが、私はなんだか詩的なものを感じ、へんにドキドキとさせられます。そして、なんだかおいしそうで、好きな絵画です。
そして、天気もよくなってきたので、少し足を伸ばし、山間部のとある温泉へ。
休憩室には地元のご年配がくつろいでおります。こういう場所で昼寝しながら聞き耳をたてていると、とかく噂話が多いもの。
「なもなも、あのっさんとこゆきすかしせんもんにめったくさいの、あいちゃだらか」
(いやあ、あの方の家は雪かきが行き届いてないようですね、あの人はこまった人ですよ)
というような話から、はたまた、ちょっとしたスキャンダルや、没落してしまった人の話など。
若いころ、年寄りになったら、鴨長明のように山中に隠棲し、文を書き、絵を描き、ギターでも弾きながらきままに暮らすことをよく夢想しましたが、今となったらそんな生活のほうが、かえって人間関係で苦労するだろうなあというリアルを感じます。
我が実家の母方のご先祖に、松本藩に仕えていた儒学者がいらっしゃったようです。
「おばあちゃんの形見だけど、これ、あんたもっていきなさい」
と母上から渡された、その家系から伝わる印章が私の手もとにあり、そこには、
「大隠ニ朝市」
と刻まれております。
亡き親父が記した解説によると、
「非凡な隠者は俗事のために少しも心を乱されないから、山林に隠れる必要もなく、かえって市中に住んでいる。」
そう、ありました。
(大隠は朝市に隠る。なんて良い言葉なのだろう。さっそく実践しよう)
そうして、現代の朝市とも言うべき「はま寿司」へと出かけ、平日90円の寿司をほおばり、蛇口のお湯で割った芋焼酎をあおり、ペイペイで2430円を支払う隠者の私。
千鳥足で家路と向かうと、雪道がとてもきれいでした。
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2021.02.19
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前回の健康診断でコレステロールと血圧の数値が指摘されているにもかかわらず、あいかわらずチープ系の外食をしてしまう私。私の場合、なにかノスタルジーで、ついついそのようなメニューを選択してしまうパターンがよう多いです。
満天星にて「粗挽きソーセージ」。
私が小学校のころは、ソーセージと言えば、もそもそとした赤ウインナーがあたりまえでした。ある夏休み、親父に連れられ、品川駅前の「つばめグリル」という洋食屋さんで粗挽きソーセージをはじめて食べました。
「うわっ! パリパリなのにジューシー! こ、これが本物の味だったのか! ちくしょう! 今まで食べていたやつはカマボコだったのか! 」
と、子供こころにも、たいへん衝撃を受けたことを覚えています。
吉野家にて「牛カレー」。
今では、大手牛丼チェーンでも見かけるようになりましたが、昔はB級の牛丼屋によくあったメニューで、カレーに牛肉をぶちこんだような乱暴な盛り付けだったものです。我が実家の近く、大井町駅西口、カウンター5~6席ほどの牛丼屋「牛友チェーン」にもありました。競馬帰りの客でひしめき、コップの水に油が浮いており、ガキのくせに来んなよみたいな雰囲気、なかなかハードな店で、味付けも大味でうまくもなかったのですが、腹ペコだった中学生のころは、そのボリュームに負けて、よく牛カレーを食べに行ったものです。
日清カップヌードル。
高校のころは学校をさぼってバイクで海岸通りや産業道路を無意味に走りまわり、港湾労働者やトラックドライバーが利用するようなカップヌードルの自動販売機でよく小銭を使いました。自らの怠惰に対する罪悪感や、留年に怯えつつも、潮風の匂いの突堤に座って、小さなプラスチックのフォークで食べるカップヌードルはやけにうまかった。そうして、セブンスターをくわえ、ごろりと寝転んでいた私。どうも、自由というものを勘違いしていたようです。でも、そのころの思い出がそうさせるのでしょう、天気の良い日などは、無性に海辺でカップヌードルを食べたくなります。
はま寿司にて「北海道辛味噌ラーメン」。
旭川に住んでいた大学生のころ、地元の友人が、有名だという辛味噌のラーメン店によく連れていってくれました。もともと、辛いラーメン大好きなのですが、半日ほど経ってやってくるお尻へのハードアタックが怖くて、最近はあまり食べないようにしております。しかし、ついつい懐かしくて、先日、回転寿司屋にも関わらず注文してしまいました。
しかしどうやって調理しているのか、旭川のラーメン屋では店主さんがぐつぐつとした鍋の前で汗だくになって作っておりましたが、はま寿司では5分も待たず、ひょっこりともってきてくれます。そして、バックヤードが見えないところがまた神秘的ですね。いちど私は「はま寿司」でバイトをしてでもいいから、そのオペレーションを見てみたい気がしております。
立山そばにて「山菜そば」。
東京で働いていたとき、その会社の社長の息子、Eさんが、仕事帰り、下総中山駅の立ち食いそばでよくおごってくれました。
「こんなんで、いつもごめんね」
と、千円札を置いてそそくさと先に帰るEさん。ストイックな職場で、飲み会もなく、きっと若く遊び盛りだった私に気兼ねをしていたのだと思います。私が富山に移り住むときまり、その会社を辞めるときには、神楽坂の高級料理店へつれていってくれました。そして、不安をかかえていた私に、
「きみならきっとどこでだって大丈夫だよ」
と励ましてくれたものです。
最近、その会社のホームぺージを見つけると、今ではEさんは社長として活躍されているようで、今度、東京へ行ったときには、訪ねてみたいなと考えています。
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2021.02.17
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私の誕生日の朝。仕込みを終え、いつものように作ったたくあんで朝ごはんをいただき、「♪ハッピバ~スデ~トゥ~ミ~、ハッピバ~スデ~ディア~オレ~」みたいなSNSの投稿をしてしまうさびしんぼうの私。そんな、私を不憫に思ったのか、今年はたくさんのプレゼントをいただきました。こんなにいただいたのは、中学二年生のとき一時だけ私はクラスの人気ものになったことがあるのですが、そのとき以来です。
みなさん、ありがとう。
黒部市内のお花屋さん「花水木」さんはこのようなチューリップを届けてくれて、さらにお弁当までお買い上げいただきました。可憐な花が身近にあるだけで、心強く思えるから不思議なものですね。この花が店のに飾られているあいだ、私は毎朝この花に声をかけることにしましょう。
そして、夜にはたくさんのお客様にお越しいただき、かけつけてくれたタカヤノリコはギターをつま弾いて歌ってくれました。聞くところによると、彼女はすこしばかり難儀な課題を翌日にかかえていたようです。そのためか、歌っていた「Song for U.S.A.」という曲がすごくこころがこもっており、私のこころにひびきました。
そうそう、いつかタカヤノリコとビートルズの「Oh! Darling」を演奏したことがあるのですが、小技や言い訳を伴わない、力強く、思い切った彼女の歌い方は、ほんとうにカッコいい。
私は51歳になりました。
これは、我が家を新築したときの写真です。この地方に移り住んだばかりで、右も左もよくわからないまま家を建てることになり、そのローンの返済が終わるのが51歳だと聞いて、正直なところ私は暗澹としていたころです。当時の私は、カミさんの尊父が創業した会社に入社したばかりで、各方面から跡継ぎだと期待され、それをプレッシャーに感じていたものです。そして、51歳の自分を想像すると、田舎の名士になって、頭の固い役員にもちあげられ、地元のおつきあいで右往左往し、愛想笑いをしている自分しか思い浮かばなかったものです。
そう、高級なスーツを着て、大きな机に座り、契約書に判子を押すような人間になるはずだった私ですが、結局は、ワークマンで買った前掛けをして、狭い厨房を右往左往し、お買い物レシートを帳簿に張付けるような人間になりました。
そして、今、私はとても幸福です。
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2021.02.15
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きっと面白いのだろうとは思っているのですが、実は「鬼滅の刃」まだ見ておりません。もう、すっかりマイノリティな私。そして、嵐のような「鬼滅の刃」旋風の中、このような、ちょっぴり腰砕けな便乗商品を街角で見かけると、その、商人らしいたくましさがかえって微笑ましく、なにかへんにうれしくなってしまう今日このごろ。
さて、鬼と言えば節分。この巻き寿司の写真はおそらく10年ほど前、私が食品スーパーの店長時代に撮影したものです。そう、節分に「恵方巻」というものが定着したのは案外最近ですよね。毎年だんだんと売上規模が大きくなって、これはきちんと取り組まないといけないぞと「恵方巻販売計画書」を作りはじめたときのことを覚えています。2012年2月3日のそれを開くと、客数予算1994人、店全体の売上予算が350万円、そのうち、巻き寿司の売上目標がなんと47万円になっておりました。外注品も含めてですが、数量で1430本。恵方巻は毎年ほぼ完売し、大きなロスが生じた記憶はないので、それに近い金額が売れたということです。今、考えるとものすごい数量ですね。そのような商機を見逃すはずがなく、昨今では、コンビニ業界も本格的参入し、節分商戦、しのぎを削っているようですね。
「そうだ! 今年は恵方巻に挑戦しよう! 」
と、1月31日の朝、私もそのような、言わば「便乗」を思いついたのですが、今年は節分が2月2日でしたので、ちょっと間に合わず、3日に作りますという案内をするも、ありがたいことに10本ほどのご注文をいただきました。
そう、今の私は、1430本も作らずとも、10本で十分です。縁起ものですので、こころをこめて作ることにしました。
しかし、ひさしぶりの巻き寿司、なかなか勘が戻らず、悪戦苦闘しました。巻ききれず、絆創膏のように海苔を補てんなどして、4時間ほどかけ、やっと完成。
でも、食品スーパーのときのように、冷凍の「巻き寿司キット」をただシャリでぐるりと巻くだけではなく、黒部産のメジマグロを一本からおろして柵をとり、玉子焼を作り、きゅうりを塩もみしたりと、しっかりと材料から作ったので、なかなかの達成感がありました。
ご注文をただいたみなさまありがとうございます。私が作った巻き寿司が、みなさまの御膳にのぼったことをうれしく思っております。
ところで、「鬼滅の刃」でなにか筒状のものをくわえた女の子を見かけますが、あれって、もしかして巻き寿司なのかしら?
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2021.02.12
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先日ひさしぶりに魚津埋没林博物館に行ってきました。ここは特別天然記念物である魚津埋没林の展示や蜃気楼なども紹介する施設なのですが、それはともかく、なにか、ウルトラセブンっぽい感じが私は好きです。
そう。私はウルトラセブンの実相寺昭雄作品が好きなのですが、そのなかの「第四惑星の悪夢」という回を思い出します。宇宙ロケットのテストでコールドスリープ中に不時着してしまい、その惑星は地球にそっくりだけど、なにかがおかしく、実はロボットに支配された世界だということに気がつくというようなエピソードです。この施設は、そのディストピアのロケーションっぽく、なにか60年代のSF映画の中にいるような気分にさせてくれます。
実相寺作品では、夕暮れ、アパートの一室でちゃぶ台ごしにメトロン星人と対峙するモロボシダン。そのシュールな場面で「狙われた街」が有名ですが、私は「円盤が来た」が最高傑作ではないかと思っております。「円盤が来た」はUFOを発見するも誰も信じてくれないアマチュア天文家の青年のエピソードで、独特の構図やカメラワーク、BGM、とにかく演出が見事で、最後、スクラップ置き場、サイレンが鳴る中、自転車を漕ぐ青年のなんともいえない心理描写は圧巻です。おすすめ。
そうそう、私は若いころ、ウルトラセブンをリアルなイメージで映画化したいものだとよく妄想していたので、初夏に公開されるという「シン・ウルトラマン」はちょっと楽しみです。
さて、だれも興味ない話でついつい長くなりましたが、ついでに、魚津水族館にも行ってまいりました。こうやってまわってみると魚津は蜃気楼、埋没林、水族館、ミラージュランド、海の駅まであり、エキセントリック系の観光施設がいい具合に海沿いに集合していて、旅行者として来たら、案外おもしろい場所かもしれません。かと言って、あまり期待値を上げずに、ちょっとゆるく、なんの気なしに訪れるとよいでしょう。
おい~、なんだミラたんかよ!
あんまりぼんやり訪れすぎた私は、ミラたんに脅かされてしまいました。
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2021.02.10
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