大井町
30年近く暮らしていているので、もうすっかり富山県民の私。ひさしぶりに実家のある大井町にやってくると、どことなくよそよそしく感じますが、それでも懐かしい町です。
東口「東小路飲食街」。親父がこの横丁「永楽」のラーメンが好きで、よくつれていってもらいました。焦げたネギが浮いたラーメンです。子供だった私はその渋い味わいがあまり好きではなかったのですが、大人になって食べてみると、うまかった。店がまえもあのころそのままの窮屈さです。天津甘栗。パチンコ・ニュートーキョー。ヤワタヤ用品店。東口のおもちゃや。親父に手を引かれて歩いた、当時の東口の風景が目に浮かぶようです。
阪急百貨店は、親父が学ラン姿で友人たちとその前でたむろしている白黒写真があったくらいなので、おそらく1950年代にはあったはず。歴史が古く、大井町を象徴する場所だと言えます。
私が小学校のとき、このように晴れた冬の日、ここの屋上のイベントで渡辺真知子が「カモメが飛んだ日」を歌っていた風景を記憶しております。ですが、
「・・・ったくもう。ノリ悪いなあ」
と、客席に聞こえるようにぼやいたりと、なんだか不機嫌なように見えました。
(テレビで忙しいのに、なんでこんな場所で営業しなきゃいけないのよ)
みたいな気持ちなのかな、などと子供ごころに心配したものです。
大井町の踏切は昔から開かずの踏切で有名でした。そしてその脇には「大名トルコ」という風俗店が堂々と建っていたものです。もちろん入ったことはないのですが、レトロなリゾート風な建物で、椰子の木が植えてあり、へんにキューバっぽい、独特な雰囲気だったことを覚えています。
「きのう『大名』に行ってすっきりしてきたぜ! 」
などと中学の頃、A先生が授業中に言っていたことも覚えています。今では考えられない発言ですね。竹刀を持ち歩き、平気で生徒をたたいてまわるような荒くれた先生でした。
そんなA先生に、ある日、職員室に呼び出され、びくびくしていると、
「おい、おまえの書いたこれ! すごいぞ! 」
と私のある作文を、涙目になってほめてくれたことを、とてもうれしく覚えています。
立会川商店街は友人たちの家が多かったのですが、今ではシャッター街のようですね。たいてい店のスペースの奥に狭い小上がりがあって、急な階段を上ると二階には寝るだけみたいな部屋があったように記憶しています。商売人たちの子供たちはませた少年少女が多く、中学生のころ、こっそり夜に家を抜け出して、ここの通りにやってくると、たいてい友達の誰かがたむろしていたもの。そうして、地べたに座り込んで、いっしょになって夜更けまでだべっていたものです。
70年代ころの勝島運河はヘドロの匂いがすさまじく、フナ虫がうじゃうじゃいるような場所だったものですが、今では菜の花や桜の名所でもある、品川区民憩いの場所になりました。
ここの南端の泪橋(なみだばし)は鈴ヶ森刑場で罪人が最後のお別れをする場所だったことからその名がついたのだそうです。そもそも立会川も、罪人と最後に「立会う川」だったことがその名の由来だと、小学校のころの先生から聞きました。
そうそう、鈴ヶ森刑場あと付近は事故が起こりやすい怪奇スポットとしても有名で、以前、その近くの借家に住んでいたころがあるのですが、夜中に、お経を唱える謎の集団を見かけたときには、たいへんびっくりしたものです。通りがかりにながめてみると、カメラクルーたちもおり、テレビ撮影だったのですが、案外、冗談などを言い合うなどして、和やかな雰囲気だったので「なあんだ、インチキなものだなあ」と思ったものです。
そういえば、昔よくあったいかがわしいオカルト番組、ちかごろはすっかり見なくなりましたね。
2022.01.17 | Comments(0) | Trackback(0) | 日記